最近「Ho-Me-I-Ku」(ほめ育)を掲げて活動している原邦雄さんの著書を読んで、うーむと納得させられた。
以下長文。
「相手を褒めるには、まず相手に関心を持って、
ただ容姿が美しい、ファッションが決まってる、とかはすぐ褒められるけど、もっと深く響くのはそうゆうところじゃないところに「気づいてもらえた!」てのが嬉しいもんね。
そういう点で考えると、私の場合いちばん難しいのはやはり家族とか身近な人。
何故なら身近な人ほど案外その人のことを知らない、その人の人生観や今関心のある物事、頑張ってることとかを、現在進行形で把握、観察してないことに気づく。
「そこに居てくれることが当たり前」て思った時点で注意を払うことを放棄するんやろな。
それよりも嫌だなと思うことに先に気づいてしまうことが多い。
そういう対象を改めて興味と尊敬を持って観察して、いいところを言葉に出して伝える。
でも褒めたい。て思う。
自分の人生振り返っても、自分のことでも、
思い出したのは、
小学生の時に担任の先生が、クラスメイトひとりずつに、小さな紙きれをクラスメイトの数だけ配って、「その紙にクラスメイト一人一人の長所を書いてください」と言った。
仲の良い友達から、ほとんど話したことのない男子まで、一人一人のことを思いだして、ちょっとでもいいな、って思ったところを短く書いて提出した。よく知ってる人のことは詳しくかけたけど、あんまり知らない人のことは覚えている範囲でいいな、と思うところを記憶をたよりに探した。案外すらすらかけた。
後日、それはそれぞれの生徒のもとに配られる。
クラスメイト全員が私の長所を書いてくれた短いメモをひとつひとつ読みながら、感動したことを覚えている。特に感動したのは、仲の良い女子からのメッセージとかではなくて、普段全然話したことのないおとなしい男子が、そのメモ用紙をハサミで個性的に星型にカットして、汚い字で「いつも明るくてうたをうたってるところ」と書いてくれていたこと。
彼は他の人の分も一枚一枚波型とか雲型にカットして、オリジナルのメッセージカードに仕立てていた。
なんていうか、書いてくれた内容とかよりも、その男子がひとつひとつ丁寧にカードとクラスメイトの個性に向き合ったんだ、という事実に感動した。それぞれのメッセージもとっても素直にうれしかった。
「給食の時間にヲルガンを弾いてたのしく歌っているところ」と書いてくれた人が多くて意外だった。(給食の時間は本当は班に分かれて準備をしなくちゃいけないのだが、私は勝手に自由時間とみなし、ヲルガンを弾いたり歌ったり好き勝手していたのである)あはは。
そしてそういう企画をしてくれた担任の先生をこっそり感謝&尊敬したことも。
話は戻るが、原さんがいうには「人を褒める」にはまず「自分で自分を褒める」ことが重要とのこと。これに関しては私は大丈夫だと自負する。
自分がまず幸せになることが周りを幸せにすると気づいたのが十代の頃、かなりの間違いも遠まわりも犯しつつ、周りに許されながら今まできたけど、その信念は今も変わらず。
鏡の自分と目が合って「ええ感じやなー」、メイクが終わて「かっわいいわー」とか日常茶飯事である。恥ずかしいこととも思わない。
それとこれは私にとってとても重要なことなんですが、どうして人を褒めたいかという理由に、この点が深くかかわってくるのだと思う。
だっていいことってわかっていても、したいと心から思わなくちゃできない。
私は本当は人の長所をどんどん知りたいし口に出したいと思っている。それはなぜか。
つまり
自分が他人のマイナス面ばかりを感じて不愉快な気持ちになる、または愚痴っぽくなる、または直接相手を攻撃してしまう。
イコール、自分が自分の憤慨によって損なわれていると感じる。
私が私を褒められないし、自分を大切にできていないと思ってしまうという点。
つまり
私が自分を大切にしたいから、自分とかかわる人間のプラスの面を意識してそれを言葉にしてゆくことで、もしかしたら相手もプラスの気持ちになれて、さらに関係が良好になってゆく、もしくはお互いの本質的な持ち味やエネルギー、才能をどんどん生かせることが可能な場が増えてゆく。
それは直接的に音楽の表現活動に影響するであろう。
捉え方によってはナルシストのエゴイズムだし、打算的である。
しかし
私は博愛主義者ではないし、基本的に攻撃的な人間であると思うが、
何が自分を満たしてくれたか過去を振り返っても、明らかなのは、私も、一緒にいる人間も、委縮することなくそれぞれがそれぞれをいきいき生きている上で、お互いを認めて、切磋琢磨していたのではないか、と思う。
そこにはナルシストもエゴイズムも入る隙なしである。
もうわかくはない、
そして人生みじかい。
そうなってくると、不要な戦い(これは主に自分のライススタイルにおいて場違いな場所や人や物事に対して自分を正当化し認めさせようとするための、浅はかでお互いを消耗するだけの不毛な戦いである)からは尻尾をまいて逃げ出して、
40年弱生きた自分と、奇跡みたいに当たり前につながることのできた人々について、またこれから出会える人々について、感謝と尊敬を持ってポジティ部部長として日々長所を探り出してゆく、という人生の方が遥かに得るものが大きい。
あと単純に人を罵ってる姿かたちは醜い。
というのが今日の結論。
結論と実践はちがうので、日々是勉強です。
そして実践は今すぐできるのでワクワクします。
余談ですが、原さんの研究によると、
褒め殺しは無意味だし、かえって悪影響を及ぼすこともあるそう。
叱ることも大事。(感情的に叱ってはダメだって!やっぱり!私感情的以外に叱ったことなんてあるかしら!!)
とにかく、どちらも中途半端でなく、褒め切り、叱りきること、が大事らしいです。
詳しくは「原邦雄」さんにきいてください。
では。日々是哲学矢野絢子でした。