矢野絢子のライヴでもおなじみ、ブルームーンカルテットのトランペッター黄啓傑さん。今回のアルバムではトランペットだけでなく、作曲やプロデュースなど全面的に制作に関わっていただきました。
そんなコウさんからみた「ミチスガラ」に寄せての文章をいただきました。
以下全文。
「矢野絢子さんの新しいアルバム、「ミチスガラ」について」
仙台の小さなカフェでブルームーンカルテットがライブしているところへ、友人のピアノマン山本隆太が矢野さんを連れて来てくれたのが4年前。みんなで彼女のオリジナル曲「汽笛は泣いて」をセッションして、シンプルなのになんて表現のきめの細かい曲なんだろう、と感心した。矢野さんは私の履いていた尻のほうまで開くファスナーのついたジーパンが気になったようで、いったいそれは何のために、という質問をくりかえし私にしてきたことを覚えている。
それから私たちはいろんなかたちで共演することになる。前の矢野さんのアルバム「君に会えない日」と、さらにその前の「ブルー」は全面的にブルームーンカルテットで参加している。そのほかにもギタリストの富永さん、矢野さん、私の「ピーターポール&絢子」のトリオの活動も、突発的、発作的に行なっている。
なるべく小編成、なんならちょっと足りないくらいのアンサンブルを、という矢野さんのアイデアと、とにかく歌と鍵盤が前に出ていて、そこに最低限のなにかが色彩的に加わったものが良いのではないか、という私の提案から、今回のレコーディングは全く新しいメンバーでの録音となった。
エレクトリックギター、アコースティックギターには、さいとうりょうじ氏。矢野さんとは以前から親交もあり、トラックメイカーとしても評価の高い。深いブルースフィーリングとインスピレーションにあふれる彼のギタープレイはセッションに新たな陰影を加える。
パーカッションには、私のパンデイロの師匠であり、さまざまなセッションで活躍する見谷聡一氏。ベースレスの今回の編成において、ジャンベやカホンの他さまざまな打楽器を駆使した彼の緻密なプレイは、楽曲に深みと強度を与えてくれた。
今回はじめて矢野さんの歌詞にメロディをつける作業をした。
私にとってあまり経験のない作業で、どうやったらいいのかわからなかったので、とりあえず送られてきた歌詞をただ読んだ。いろんな場所で、時間に、状態で、ひたすら読んだ。
そのうち、なんとなくこんなかんじかな、というメロディのかけらみたいなのが浮かんで、それをなんとか形にした。文章にするとこんなもんだが、けっこう苦戦した。
以前、矢野さんと作曲について話したことがあり、歌詞ができると、メロディは勝手に生まれるのだ、と語っていたことについて、なるほど、と合点がいった。
つまり言葉に忠実で素直なのだ。だから彼女の楽曲はメロディと歌詞が誤差がなく、ずばん、とストレートに心に届く。
ではその歌詞というのはどうゆうふうに書いているのか、と聞いてみると、曰く、チラシの裏とかいらない紙にとにかく書まくり、まとまったらそれを清書するのだ、と。
部屋中に散乱するチラシに書き殴られた言葉、鬼気迫る矢野さん。いやそれとも風呂上がりの気楽さでさらりと書いているのか。どの作品にも感じる、あの密度の濃い歌詞の誕生の秘密は、やはり謎につつまれている。
今回録音は子安のガンボスタジオ、そして同スタジオエンジニアの川瀬さんの提案で大倉山記念館というホールの二ヶ所で行なった。
ガンボスタジオはブルームーンカルテットにとってはホームグラウンド的な録音スタジオで、下町の音楽室、といった風情の佇まいだ。矢野さんに紹介したところ、川瀬さんとも意気投合して今回に至った。
大倉山記念館は古いがしっかり管理の行き届いた美しいホールで、音響もよく、とても気持ちよく作業できた。
3日間のレコーディング期間でこの曲数、という強行スケジュールにもかかわらず、煮詰まることもなく(ヒマもなく)歌うたびに伸びてゆく矢野さんの声、精神力は驚くべきものだった。
よくまあその小さな体で、と月並みなことを言いそうになったが、怒られそうなのでやめた。
内容についてはここでは触れない。しかし手前味噌ながら、現時点でまだCDRの状態のこのアルバムを、私は何度聴いても聞き飽きることはない。
ときには激しく、ときには柔らかでせつなく。矢野さんの人生への愛、音楽への愛が耳から入ってきて心を満たす。きっとそれは多くの人を惹きつけて止まないはずだ。
そんなつよい力を持った作品に、こうして携われて、とてもうれしくおもう。
黄 啓傑